アジア通貨危機の概要と原因を徹底解説【国際金融論】

アジア通貨危機は、1997年7月にタイの通貨「バーツ」が暴落したことを発端に、1998年にかけて東アジアを中心に発生した深刻な経済・通貨の混乱です。

本記事では概要と原因について説明します。

アジア通貨危機

アジア通貨危機とは、1997年7月にタイのバーツが急落し、ドル・ペッグ制から管理フロートへ為替政策を転換したことをきっかけに、東アジアを中心に通貨危機が連鎖的に発生した通貨危機です。

当時のアジア諸国は、高成長、高金利、ドル・ペッグ制で外資を大量に集めていました(特に短期のドル建ての銀行融資)。その結果、過剰な融資 → 過剰投資 → 地価高騰 → バブル化といった流れができていました。

タイでは、外国資本の急激な流入により経常赤字拡大、不動産バブル拡大が起こり、そして過剰供給と需要鈍化によって不動産バブルが崩壊し、不良債権問題が不安視され、外国資本が一斉に流出に転じたことで、通貨暴落が引き起こされました。

黒野
バブルがもたらす過剰供給とピークアウトの危機感から外資流入の鈍化による需要減退のダブルパンチです。

この影響はインドネシア、マレーシア、フィリピンなどに波及し、韓国でも金融機関の破綻懸念が深刻化して、IMFへの支援要請に至りました。

さらに、新興国市場全体への投資家の信頼が低下し、ロシアやラテンアメリカ諸国にも資本流出が広がったほか、先進国の金融市場にも動揺が広がり、国際金融市場全体に深刻な混乱をもたらしました。

IMFの対応

通貨危機の結果、特に経済的な打撃を受けたタイ、インドネシア、韓国はIMFからの融資を頼ることになるが、IMFがこの3カ国に対して出した融資条件が物議を醸します。

融資条件として出した構造改革は、規制緩和・財閥解体・財政引き締めといった新自由主義的性格を持つものでした。ただし、河﨑ら(2020)によると、急激な引締政策や構造改革はかえって各国の経済状況の悪化を招き、危機は深刻化した。投資家によるパニック的な資金引き上げならば、大量の資金を無条件に投入することで危機を回避することは可能であり、IMFの新自由主義的な構造改革を条件としたことが問題視されました(pp. 346-347)。

発生原因を詳しく解説

  1. アジア諸国の急激な対外資本取引の自由化
  2. アジア諸国のドル・ペッグ
  3. ダブル・ミスマッチ

1. アジア諸国の急激な対外資本取引の自由化

一般に、発展途上国は貯蓄が不足しがちなので、投資を海外からの借入(外国資本)に頼りがちになる。このこと自体は問題ではなく、むしろ経済発展に貢献します。

ただし、当時のアジア諸国はこの外国資本流入を急激に推進しました。

具体的には、対外資本取引の自由化を急速に進めて、その結果、直接投資以外にも証券投資や短期の銀行融資などの短期性資金が過剰に流入していきました。発展途上国ゆえの金融制度や金融機関の健全性を管理する体制が不整備な状態での外国資本の過剰流入は、金融市場を不安定にしていきました。(リスクの蓄積)

そして、当時世界経済は高インフレの環境で、実質金利が低水準にあり資金需要が旺盛な一方で、アジア諸国では高金利政策が外国資本の流入を呼び込み、融資が加速していきます。これによって返済能力を超えた融資が積み上がり、資産バブルを形成していきました。

黒野
アジア諸国の急激な対外資本取引の自由化が資産バブルを生み出し、リスクの蓄積につながったのです。

2. アジア諸国のドル・ペッグ制

タイの通貨危機の具体的な要因の一つは(中略)タイがバーツをドルに連動させる為替政策をとっていたためバーツが円に対して大幅に上昇し、タイの輸出の価格競争力が低下して経常収支の赤字拡大を招いたことであった。

引用:秦忠夫ら, 2012『国際金融のしくみ』第4版,p. 206

アジア諸国への過剰な外国資本流入の背景には、各国がドルに連動するような為替政策をとっていたことがあります。

ドル・ペッグ制とは、ドルと自国通貨の名目為替相場を一定に保つ為替政策です。このことが対ドルでの為替相場を安定させ、外国からの投資や借入において為替リスクを小さくしました。それは貸し手と借り手の為替リスクへの意識を希薄化させ、安易で過剰な外国資本の流入につながりました。

しかしドルペッグ制のもとでは、ドルが国際市場で上昇すれば、それに連動して自国通貨の名目実行為替相場も上昇し、実質実行為替相場にも上昇圧力をかけます。それはドル以外の通貨建ての輸出競争力が低下するという弊害がありました。

黒野
ドルペッグ制により自国通貨が実力以上に高く維持されていて、国際競争力を弱めていたわけです。

この問題がタイで経常収支の赤字を拡大させ、資産バブルの崩壊を契機に投機的売りにつながり、タイはドルとの固定相場制を維持できず、変動相場制へ移行しました。これによりバーツの対ドル相場は1ヶ月間に20%以上大幅下落し、アジア通貨危機の引き金となりました。

過剰に流入していた外国資本が流出し始め、そこに投機的攻撃で自国通貨が急落、この流動性不足と為替差損が企業の資金繰りを破綻に追い込み、不良債権の増加は銀行経営も悪化させる。しかも同じような輸出産業をもつカントリー・グループの一国で通貨暴落が起これば競争力バランスが崩れ、その影響を見越した投資家心理も悪化し、グループ内で外国資本の流出は波及していくわけです。

発展「ドル・ペッグの弊害の詳細」

発展を見る
 アジア諸国でドル・ペッグが取り入れられた時期(1980年代後半から1990年代初頭にかけて)は、プラザ合意(1985年)後のドル安局面と重なり、ドルは相対的に過小評価傾向であったと解釈できる。ドル円は1985年の約240円から1987年には120円台へ急落し、このドル安により、ドルの実質実効為替相場が相対的に過小評価(割安)状態になっており、つまりアジア諸国のドルペッグの出発点はドルが比較的割安なタイミングだったと解釈できます。

 そこから、後述するドル高政策などの影響でドルは過小評価から一転して過大評価ともいえる状態に向かうわけですが、その変化幅は直接アジア通貨の過大評価につながってしまいます。単純に言えば、ドルが-10→+10になった時のアジア通貨はその差分の20の過大評価を受ける可能性があるわけです。それはバーツの実質実行為替相場の急激な上昇から見て取れます。これがアジア通貨危機の甚大な被害に貢献したと考えられます。

3. ダブル・ミスマッチ

ドル・ペッグ制は、為替安定による外資導入の促進効果を狙ったものであったが、他方「ダブル・ミスマッチ」(長期資金を短期借入で、しかも国内投資を外貨で調達)の弊害が危惧されていた。その弊害が「強いドル政策」をとった米国のドル高指向につれて問題となり、ヘッジファンドなどの投機筋に狙われるところとなった。

引用:島村髙嘉,中島真志,2020『金融読本』第31版,東洋経済新報社(p. 364)

ドルペッグ制を利用した為替安定による外資導入には「ダブル・ミスマッチ」という弊害がありました。それは、長期の投資を短期の融資でまかなうという「期間のミスマッチ」、国内投資を外貨で調達するという「通貨のミスマッチ」です。

期間のミスマッチは、資金繰りが借り換えに依存するため、不安が高まると一気に資金ショートが起こります。通貨のミスマッチは、自国通貨で収益を得ているが、借入はドル建てという構造であり、通貨安になれば返済負担が急増します。

そこに米国の強いドル政策による米国の高金利化とドル高は、アジア諸国の外貨準備の減少と強い自国通貨、輸出競争力低下、経常収支赤字拡大をもたらし、こうしたファンダメンタルズと乖離した状況とリスクの高まりから投機筋に狙われ、ペッグ崩壊に賭けた売りが始まります。それがドル・ペッグ制の崩壊につながります。

これはまずタイで起こりました。タイの地元金融機関の信用不安を機にバーツ売りの投機が始まり、外貨準備が底をついた政府はドル・ペッグ制を放棄、結果的にバーツは短期間に40%ほどの大暴落を遂げます。

黒野
なお、ここで大きな影響を与えた投機の中心は米国のヘッジファンドです。

補論「ドル高の背景(強いドル政策、FRB、米経済)」

補論を表示する
当時、ドル高が進行していた背景として以下の3点が挙げられます。

  1. 強いドル政策
  2. FRBの利上げ
  3. 米国の好調な経済

①は、1995年政府が「強いドルは国益」と発言して、アナウンスメント効果で市場の期待をドル高方向へ向けました。さらに同年、日米欧が協調してドル買い・円売り介入を実施しました。

②は、1994-1995年にかけて米国のインフレ懸念に対するFRBの利上げが実施されました。一方、当時の日本や欧州は金融緩和を行っていたため、金利差拡大によるキャリートレードによる資本移動も合わさってドル高につながりました。

通行人A
でも、米国もインフレしてたんだったら、アジアの通貨では実質為替相場の影響は限定的なんじゃないの?
黒野
ここで重要な点は、米国の利上げは予防的利上げであった点なんだよ。つまり、米国の強いドル政策と予防的利上げによって実力以上にドル高が進行し、それにペッグしていたアジア諸国も、実力に見合わない通貨高になってしまったわけです。

③は、当時の米国はIT革命や生産性の向上によって経済優位性が高まっていました。これによって海外から投資資金が米国へ流入し、ドル需要が増加。特に、米国株式市場への投資が活発になり、ドル買いが進みました。

バーツの暴落がアジア諸国へ波及した理由

タイの通貨危機(投機的攻撃)は、フィリピン、インドネシア、マレーシア、韓国など周辺の東アジア諸国に波及し、各国で通貨危機を起こしました。このような一国の通貨危機が他国へ伝播することを危機の伝染といいます。

この危機の伝染の原因として藤井(2013)は、①一つの経済的要因が全ての国へ影響している可能性、②ファンダメンタルズの関連性、③危機の自己実現的に飛び火の3つを挙げている(p. 298)。

①は、連続する複数の危機が全て同じ原因によって引き起こされているというものです。今回のケースだと、アジア諸国のドルペッグ制などの同じような条件下で、ドル高政策などが与えた影響が時差を伴って全ての国に影響を与えたものと考えられる。

②は、バーツの暴落がタイの輸出競争力を高めて、同じような輸出産業をもつ周辺諸国の競争力を相対的に低下させてしまい、それらの国のファンダメンタルズ悪化が通貨攻撃を誘発してしまうわけです。

③は、タイの通貨危機が市場心理を大きく下げ、実体経済に基づくというよりは、市場心理の変化が投資家の行動を変化させ、自己実現的に市場を変化させるというものです。タイの通貨危機を受けた投資家は、他のアジア諸国でも同じようなことが起こり得るというリスクを認識し始め、資金を引き上げます。それが実際に市場に影響を与え、自己実現的に危機が広がっていくということです。

黒野
タイの通貨危機の原因はアジア諸国にも同じような影響を与える。さらにタイの通貨暴落の影響が周辺アジア諸国の経済に悪影響を与える。そのうえに投資家心理の悪化が資本流出をもたらすという3つの危機の伝染が起こった結果だと考えられます。
通行人A
投資家心理がそんなに大きな影響を与えるの?
黒野
そうだね。国際金融では資本取引は巨額になる。しかもその中には短期的な利益を狙った投機の動きがある。この投機は国際貿易と大きく異なる点で、国際貿易の自由化は経済学的に望ましいが、国際資本取引の自由化には投機というリスクが生じるという点で一概に望ましいとは言えないわけです。

参考文献

・河﨑信樹,村上衛,山本千映,2020『グローバル経済の歴史』有斐閣アルマ.

・島村髙嘉,中島真志,2020『金融読本』第31版,東洋経済新報社.

・秦忠夫,本田敬吉,西村陽造,2012『国際金融のしくみ』第4版,有斐閣アルマ.

・藤井英次,2013『コア・テキスト国際金融論』第2版,新世社.

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