- 自分探しをするな
- ありのままの自分なんてどこにもいない
- ポジティブが良いとは限らない
- 5人を救うために1人を殺すべきかなど考えても意味がない
- 強くなるには徹底的に弱くなれ
- 何があっても面白がって受け入れよ
今回は孔子と孟子の思想を超訳してみました!
結論
その瞬間瞬間の最善を冷静に分析し自分で考えて結論を出し、行動する。
出た結果を受け入れて自分の中に蓄積していく。
次の行動に生かす。それを繰り返す。
概要
崩れそうな塀の下に立っている時、
- 運命論者は運命を受け入れる。(これが自分の運命だと)
- 自由意志を信じる人(運命は自分で作る物)は、自分の責任だと受け入れる、又はそれを対処する為に戦う。
- 孟子は崩れそうな塀の下に立たないようにする。
どういうことか
運命論者はそのまま運命を全て成すがままに受け入れてしまう。これはそのまま最悪なままだからダメだと分かり易いから置いておくとして、
問題なのは自由意志と孟子の哲学の違いだ。
一見同じ様に見えるが決定的に違う部分がある。
「この世に絶対的な規則など存在しない」「努力は必ず報われるとは限らない」
この2つを受け入れてるかの違いだ。
まずは規則は存在しない点、
絶対的な善と悪が存在し善が讃えられ悪が罰せられるという考えには間違いがある。
状況により善と悪の判断など簡単に変わってしまうからだ。
1人を助ける為に10人を犠牲にするかと問われた時に10人を助ける事が善なのか。
では、1人は最愛の妻で10人は全くの他人だった場合はどうなる。
善と悪など状況により変わる。時代により人々の考え方など全く別のものになる。絶対的に正しい規則は存在しない。
次は努力は必ず報われるとは限らない点、
例えばサッカーで将来を有望視されていた少年が毎日通常以上の練習をしていたとする。
しかしある日交通事故で両足が動かなくなりサッカーが出来なくなる。
この様に理不尽な偶然は人生に起こりうる。努力が必ず報われるとは限らない。
この2つの考え方を受け入れてるかどうかで人生の歩き方が変わってくる。
受け入れていない人は日々変わる状況の変化に対応出来ない。
長年努力し作り上げた物、状況、万全を期したはずが完全に覆された時、最善を見つける事が出来ない。
しかし、孟子的に受け入れている人は違う。
日々、瞬間瞬間で変わる状況を受け入れ、その状況を分析し自分で最善と思える答えを出す、そして実行する。
それに対して得た結果、経験を自分の中に蓄積していく。
そして次の最善へと繋げていく。
その瞬間に出した最善はあくまでもその瞬間の自分が出せた最善でしかない。
絶対的な正しい答えではない。
でもそれで良いのだ。この世に絶対的に正しい物など存在しない。
可能な限りの最善を尽くしその経験を通して日々自分を成長させていく。
それを繰り返して少しずつ人生をより良くしていく。
これが孔子、孟子の哲学だ。
この考え方に重要な点がある。
それは成長は少しずつしていく物と考えている点だ。
これをやれば人生が一気に薔薇色になる。そんな考え方ではない。
日々の些細な行動を自分が考える最善な物に変えるだけで些細だが確実により良い自分、人生に変えていく。
それが両名の考え方だ。
朝起きたらおはようございますを言う、食事をする時にいただきますとごちそうさまでした。と言う。
この様な些細だが自分でその瞬間の最善を考え行動する事が大事だと説いている。
まとめ
- 絶対的な正しい規則など存在しない。
- 本当の自分など存在しない。あるのはその瞬間の自分だけだ。それは日々変わるし変えられる。
- 状況により最善は異なる。
- 些細な事から自分を変えていく必要がある。
- 偶然は起こる。
- 人生に安定など存在しない。大事なのは対処する能力と受け入れる事。
孟子はこうも言っています。
「自分は何にでもなれる。」ではなく「自分が何になれるかはまだ分からない。」だからこそ色々やってみる事が大事。だと。
これはつまり、その瞬間の状況を受け入れてその瞬間の最善を考え行動に移す事が大事だと言う事だと思います。
絶対的な物などなく常に色々な可能性を捨てるな!と言う事ですね!
サッカー選手になれなくてもコーチになれるかも知れないし他の道もあるし
もしかしたらその道の方がワクワクするかも知れない。常に心を開いている事が大事!
自分の可能性を自分で狭めるな!
以上!投資家黒野でした!
因みに今回の記事はこちらの書籍を参考にしています。
より良い人生に確実に役に立つ良書だと思いますので気になった方はぜひ!
少し難しい哲学の話ですが本当に大切なことが学べます。